スペック通信 8月
先日数十年ぶりに、学会で福岡に来ていた友人の大学教授に会いました。
その彼が「最近の大学生は実に真面目で授業の出席率もいいのだけれど、これは面白いという発想が少ない。」と嘆いていました。同じようなことを私も常々中学生や高校生に感じています。「我が国が世界に伍(ご)して国際競争力を発揮するためには、『知』の世紀をリードする創造性に富んだ多様な人材の育成が不可欠である」と文科省はその理念で述べていますが、今の日本を眺めてみるととても「知の世紀をリードしている」国だとは思えません。
彼に言わせると「センター試験が悪い!」のだそうです。もちろんセンター試験は2021年から「大学入試共通テスト」に代わっていますが、マークシートの試験で、4つの選択肢の中から正しい答を選ぶ形式はそのままです。「センター試験には、最初から答が書いてあるんだぞ!どうやって、新しくて、面白い発想が生み出せるというんだ。」と彼。
指示されたら実に有能に課題をこなせるのだけれど、指示がなければ動けない子供たちが多くなってきているのは、日本の将来にとっても大いに憂うべきことだと思います。もっとも「OKグーグル、〇〇して」といえば、問題を解決してくれるガジェットがあったり、マイクに向かって日本語を話せば英語どころか100か国以上の言葉で話してくれる翻訳機も実現していますので、もはや生徒たちにたくさんの英単語を覚えろということは野暮な時代になってきているのかもしれません。
数年前ですが、スペックでこんなことがありました。中1の生徒が、こんな英作文を作ってきたのです。 he goes to school every day.
英文自体に何の間違いもないのですが、この文は、「英文は大文字で始める」というルールを無視しているのです。そこで私は、「英文法プリントの25番を読むように」といいます。そこには、「文の最初は大文字、最後は.(ピリオド)」と書いてあります。それを読んでもなお、「先生、大文字で始めればいいのですか?」と聞いてくる生徒は、その生徒が初めてではありません。
「権威のお墨付き」がなければ動けないのか、間違ったときに自分のせいではないことにしたいのか、そのへんはよくわかりませんが、とにかく自分で考えて、自分で答をみつけるという勉強で一番大切なことを放棄しています。「間違ったっていいじゃない。どんどん間違えなよ。そのうちに正しい考え方がわかってくるんだから。」私は何度も繰り返すのですが、なかなか生徒の耳には届きません。
間違えるといえば、数年前の生徒がやったこんな英作文の間違いがありました。
「私はカナヅチなので泳げません。」を英作する問題です。もはや今の小・中学生には「カナヅチ」が(泳げない)の比喩表現だとは通じなくなっているのでしょう。その生徒は「I am a hammer, so I can’t swim.」と書いてきました。もっともグーグル翻訳も(私はカナヅチです)を「I am a hammer.」と答えますので、私よりその生徒のほうが正しいのかもしれません。
日本語的な言い回しをそれをそのまま英語に置き換えるのではなく、内容を正しく他の言葉に置き換えることが、外国語を学ぶということです。自分のもっている英語力を使ってどのように自分の意思を伝えるかという訓練はあまり学校ではしていませんが、簡単な英語で自分の意志を表すためのテクニックを磨くことこそが、これからの外国語の勉強に必要なことです。
(ちなみに先ほどの生徒は、早稲田大学に進みました。)
スペック通信 7月
ブレイディみかこさんの「ぼくはイエローホワイトで、ちょっとブルー」という本を読みました。2019年のノンフィクション本大賞や本屋大賞を受賞した本でずっと興味はあったのですが、なかなか読む機会が作れなかったのですが、大賞を受賞してから3年たってようやく読みました。
ブレイディみかこさんはアイルランド人の夫と一人息子の中学生ケンの3人でイギリス南部のブライトンという町に住んでいて、保育士として働いています。ケンの通う中学校はイギリス人、アイルランド人、アフリカや中東からの移民の子供たち通う学校で、貧富の差もバラバラな底辺中学なのだそうで、その学校でのケンのさまざまな経験や、多様性から起こるトラブルが起こります。この本はそれらを描いたリアルストーリーです。いろいろな価値観や考え方、人種が混ざった多様性のモデルのような中学校生活の中で生活し、喧嘩し、悩み、育っていくケンには、面白くもあったし、考えさせられることもたくさんありました。
そんな中で、私が一番心に残ったのは、「empathy」(エンパシー)という言葉です。実は私はこの英語を知りませんでした。「pathy」という言葉は(感情)という意味の言葉です。日本語にもすっかり同化している英語に「シンパシー」(同情)がありますが、これは(一緒の)を表す接頭語「sym」に「pathy」がくっついた言葉で(一緒の感情)→(同情/共感)になります。 私たちがよく耳にする「シン」のつく英語には「symphony」(シンフォニー・交響曲)や「symmetry」(シンメトリー・左右対称)があります。
さて、私が知らなかった「empathy」ですが、「em」あるいは「en」は(その中へ)を表す接頭語です。接頭語とは言葉の前につけて意味を付け足す語のことで、日本語では「不機嫌」の「不」や「亜熱帯」の「亜」がそれにあたります。「empathy」は(相手の気持ちの中に入る)という意味ですが、では
同情を表す「sympathy」とは何が違うのだろうかと考えてしまいました。
英和辞書では「sympathy/同情」、「empathy/共感」となっているのですが、「同情」と「共感」ではどう違うのだろうと思っていたら、ブレイディみかこさんの本の中で分かりました。 (相手の立場に自分を置いて考えること)がシンパシーで、(相手の気持ちや行いを理解して行動すること)がエンパシーなのだそうです。日本語には「同情」や「共感」という言葉はあっても、(相手を理解して行動する)にあたる言葉はないのではないかと思います。
英語には「Try on the other person’s shoe」(相手の靴を履いてみろ)ということわざがあるのだそうです。ウクライナへのロシア侵攻のニュースが毎日報道されていますが、ウクライナの人々に同情はしても何も行動できない私自身には胸に刺さる言葉です。
日本の総人口は昨年64万人減り、1億2550万人になったのだそうです。 今、日本は高齢化社会ですから、2300年の日本の総人口は6千万人を切るという研究もあるそうで、この先ま日本の人口はますます減っていきます。それを補うために外国からの人々がどんどん増えるだろうことは想像できます。
社会がますます多様化していくことは必至で、人種も文化も考え方の違う人々の間で「みんなちがってみんないい」社会をどのように作っていくのかが、これからの日本の政治や経済界に求められるのだろうと思います。
※ブレイディみかこさんはその本の中で貧富の差は「みんなちがってみんないい」はずはないと書いているのを付け加えておきます。
スペック通信 6月
中学3年生のテストにこういう問題がありました。
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次のうち、一つだけ下線部の発音が違うものを選びなさい。
1.all ※注(オール:全部)
2.boat (ボート:船)
3.autumn (オータム:秋)
4.straw (ストロー:麦わら)
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この種の問題には私自身、中学生の時にずいぶんと悩まされた覚えがあります。上の英単語はすべて日本語に入ってきている単語です。「オール」も「ボート」も「オータム」も「ストロー」も日本語ではすべて「オー」という発音ですべて同じ発音です。 試験の後に答えは②番だと教えられても、なぜ「ボート」だけが違う発音なのかは、中学生の私にはまったく珍紛漢紛でした。心の中では(全部オーだろう)と悪態をついていたに違いありません。その違いが分かったのはおそらく大学に入った頃ではないかと思います。
実はこれは英語には26も母音があるのに対して、日本語にはア・イ・ウ・エ・オの5つの母音しかないのが原因です。 もともとアイウエオの5つの母音しかない環境で育っている人間がこの26の母音を聞き分けるのは大変で、日本人がリスニングを苦手とするのはここに原因があるのです。
ところが上の問題にはもう一つ面白い落とし穴があります。それは日本人がきちんと日本語の文字をきちんとしていないということです。
例を挙げてみましょう。
「映画」
みなさんはこれをどう発音していますか?
「エイガ」と読まずに「エーガ」と発音し、「イ」の音を発語していないのではないですか? 「裸の王様」も「おうさま」とは読まず「おーさま」と発音しているのではないですか?
つまり日本語には書き言葉としての「エイ」や「オウ」はあっても話し言葉のなかには「エイ」や「オウ」という音はないのです。ですから我々日本人は「オウ」も「オー」と発音していますし、「オー」はもちろん「オー」と発音し、音の上ではこの2つに違いはありません。
最初の問題に戻りますと、「オウ」と「オー」の違いを意識してそれぞれの単語にカナをふると、
1.All(オール) 2.boat(ボウト)3.autumn(オータム)4.straw(ストロー)となり、見ただけでboatだけが違う発音だとわかるのです。
イギリス人やアメリカ人はこの音の違いをはっきり意識して違う音としてとらえています。幸いスペックの生徒たちには私の苦い経験を踏まえて、これらの音の違いを意識させています。ABCリストIIをきちんと覚えてさえいれば、学校のテストでのこの種の問題で失点することは絶対にありません。
余談ですが、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を読むと、しばしば「~ねばならんですきぃ」というセリフが出てきます。 もしかすると土佐弁にはこの「オウ」や「エイ」という発音があるのかもしれません。 土佐弁をご存じの方がいらっしゃいましたら、ぜひ教えてください。